札幌太田病院創立者
太田清之生誕100周年記念事業
太田清之著作集
サイト内検索: 
HOME当時の論文・コラム関連文集イメージギャラリープロフィール
HOME 当時の論文・コラム 関連文集 イメージギャラリー プロフィール
 
 
当時の論文・コラム:「随筆:狂人と常人」より

診断と治療 第8號 昭和12年8月
 田舎医業奇話二題
 

 東北の一隅に精神神経科を標榜して、病院に職を奉じて居る私は、文化に遠いこの地方の人々の生活に因って、色々な困難に遭遇する。然し之等の困難の多くは、反って私の生活に、微苦笑を附与し、変化と潤とを促すのが常だ。そんな事件を二つ程思出の中から拾って見よう。


一、寺内村の奇習
 寺内村と言うのは秋田市の西約一里、秋田市と土崎港町との中間に位する高台の村で、人口約千五百の農村である。今は附近を合して、人口約三千の寺内町となって居るが、千数百年以来今日に至るまで、官弊小社古四王神社を信仰と生活の中心として連綿として伝統を保守して来た。この村の人々は、今も獣肉、鶏卵さえ全く食せす、特にその旧正月七日間の精進振は実に驚歎に値する。即ち旧正月一日より七日間村民は総て自宅に籠居して、その間他人と交らず、火を交える事なく、斎戒沐浴して願を掛ける。腥物は勿論一切の異物を摂らない。彼等の真の正月は、この七日間の精進の終った八日から始まるのである。私が茲に述べようとする出来事もこの正月の精進中に起ったのであった。

 患者は十五歳の男子、病気は真正癲癇である。昨年春頃から私はこの患者を診察し、夏頃までにルミナールの量を定めて0.15とし、之を一日三回分服せしめる事により、それまで殆んど毎日起って居た痙攣發作を全く止める事が出来る様になった。私は引き続き服薬を持続すべく、決して無断で中止してはならぬ事を申し渡し、患者も又よく私の言を守って、遂に發作は一回も起らず、大いに感謝されて居たのである。然るに本年旧正月七日患者は悄然として、私の診察室に現われた。三日前から大きな痙攣發作が一日数回も続いて起ったと言う。私は事の意外に驚いて、激しい運動はしなかったか、過食や塩辛いものを食わなかったか、何か重大な心配事でもなかったかと、詳細に誘因となるべき事項を間うてみたが、答は総て「否」である。薬も沢山残って居ると言う。患者は首をうなだれて何か言いたいが、言えないと言う風情である。私は嘆息しながら
 「どうも変だなァ、薬も勿論きちんきちんと飲んで居るのだしなァ!。」
 「それが薬を飲まなかったのです。」
 「えッ!、薬を飲まなかった。それでは病気が起るのは当然だ。どうしてそんな莫迦な事をした。あれ程厳重に言ってある筈だ。」
 「それでも正月の願ですから。」
 「なるほど。」
私は初めて患者が寺内村の住人である事に気がついて、今更の如く、プロトコルの住所欄を見直すのであった。
 「然しいくらお正月の願を掛けると言っても、薬を止めると言う法はあるまい。」
 「皆がそう言うものですから。」
 「どんな病人でも薬を飲まないのか。」
 「中には飲む人も居る相ですが、大抵は飲みません。私の家は特に固いのです。」
 「飲まぬ振をして、こっそり飲めばよいではないか。」
 「そんな事をしたら、古四王さんの罰が当ります。」
 こうして私は寺内村の村民を、新しく眺め直すと共に、伝統の力、迷信の力の強さをしみじみと感じた次第であった。


二、聹奇話
 患者は五十九歳、貧農の老婆である。ある内科医が頭の工合が悪るいなら、行ってみよ、と私の病院を教えてくれたとて、息子に手を引かれて、外来を訪れたのである。本年一月頃風邪を引き、その後頭痛、眩暈及び難聴が起り、色々な医師から、薬を貰って服用したが、効がない、と言うのが主訴である。型の如く叮嚀に診察したが、胸腹臓器に異常なく、血圧も平常で、尿にも変化がない。どうしたものか。と一寸思案して居ると、この患者が、
 「どうも左の耳に何か入って居る様なんです。これを取って貰えば、よい様な気がするんですが、どの医者も診てもくれません。」
 と言う。そこで学生時代に買った古い額帯鏡を持ち出し、馴れぬ手付で、左耳を覗いてみると成程!聹がぎっしりと詰って居るのである。ピンセツトで突いてみたが、一寸取れ相にもない余程専門医に廻そうと思ったが、暇が充分あるので、先づ学生時代の耳鼻科の教科書を取り出してみると、聹水と言うのがある。処方も簡単なので、早速作って点耳し、暫時の後試みて見ると、今度はうまく取れた。外聴道そのままの小指頭大の鋳型である。中央に針先程の小さい穴が残って居るのみである。これでは耳鳴や難聴があったのは当然であるし、従って又頭痛が伴ったのも無理がない。患者は取れた瞬間、急に晴れ晴れした顔付となって、
 「もうすっかりよくなりました。有難う御座いました。」
と言う有様である。私も案外の成功に思はず破顔一笑して、こんなに聹を耳に溜めて置きながら、それとも知らずに、内科医や神経科医のみ訪問して居た患者も患者なら、この患者に薬を飲ませたり、注射して居た内科医も内科医だと思わざるを得なかった。兎に角精神病の医師は、患者の言う事に余り信を置かぬ様に習慣付けられて居るものではあるが、一応は患者の訴もよく聴き、それと同時に全身の詳細なる検査が必要であると感じた次第である。

 何れにしてもこの二つの事実は、田舎でなければ、接し得ぬ珍風景であろう。





ささやかな土にはあれど新しく吾が得しものと手に採りてみる 太田清之
このページの書籍
 
<a href=index.cgi?action=search&w=随筆:狂人と常人>随筆:狂人と常人</a>
随筆:狂人と常人
発行:昭和23年1月20日


注意事項
本ホームページは太田清之(1903〜1961)が発表した文献を掲載しているため、記載されている情報は現在の医療規則・法律よりも古いものです。




ページ上へ 前のページへ

HOME当時の論文・コラム関連文集イメージギャラリープロフィール

本ホームページは太田清之(1903〜1961)が発表した文献を掲載しております。

Copyright (c) 2004 kiyoshi-ohta All Rights Reserved.
HOME 当時の論文・コラム 関連文集 イメージギャラリー プロフィール