札幌太田病院創立者
太田清之生誕100周年記念事業
太田清之著作集
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関連文集:「太田清之著作集」より

昭和33年6月 北診
 琴似の近況と初老の夢
 

 北診も創刊以来満十年になると言う。私の病院もこの秋で十五年たつ。まことに十年、十五年という年月は仇やおろそかにはたたぬもの。私自身も初老の嘆きを覚え、また私の住む琴似も随分と変った。

 まず二階の診察室から見る風景がもはや昔の面影さえない。右手に見える三角、藻岩、円山とつらなる山脈の姿こそ昔のままに、春は霞に包まれ、夏はむせるような新緑に彩られ、秋の紅葉、冬の雪と四季の変化をつづけているが、その山麓から左手の平野からは、荒涼たるあれ地や畑はまったく姿を消し、立派な文化住宅がのきを並べて、もう住宅地としての様相を完全に示している。日用品を売る店がたくさん出来たし、大きな市場が近く落成する。公衆浴場も二つ建った。私の病院もはじめた頃はお隣の国立療養所だけが唯一の施設であったが、今は道立の肢体不自由児の学院、市立の結核児の学校をはじめ、私立では香蘭女子高校や谷口君の緑ヶ丘病院も出来た。その他私が琴似にきた頃二人であった開業医もニ十数名となり、各方面の専門医が競って開業している。もっともある大きな総合病院が当地に開業された当時は、夜逃げ同様に二人の医師が琴似から姿を消したこともある。

 昨年十月市営バス山ノ手線が開通して、交通も至便となった。私の病院も終点からわずか百メートル。大通りのバスセンターまで二十分、市営バスが自家用車のようなもので、私も車を買う必要がなくなった。

 私はこの際札幌西郊百年の計も建てねばならぬと思う。十分に考慮された都市計画を確立して多くの緑地域を残して置かねば大変なことになる。三角、寺口山、発寒川を中心として自然公園を作るべく、国立療養所の裏を廻って盤の沢に抜ける観光道路が出来れば、快適なハイキングコースとなろう。

 交通として電車は既に時代おくれではあるが、現在計画中の西校前より琴似駅に至る一線の外、円山終点から動物園、総合グラウンドを経て、宮の森に至る一線がぜひ必要である。出来ればこの二線を琴似本通りあたりで連絡して環状線にしたい。五島慶太構想による札幌急行電車でも、このあたりを通過することになれば、琴似町山の手の発展はまったく見るべきものがあるにちがいない。

 こうなると今の私の病院は市街の中心に位することとなり、精神病院の作業地三千坪が附近住宅の群からとり残された唯一の広場となっているしまつである。今のうちにもっとへんぴな山の奥の方に土地を買って病院を移すか、それとも、病院のように面倒で金の儲からぬ仕事はさっぱりとやめて、今の土地をうったり、格安な土地を売買したり、あるいはそんな欲気も出さないで現在ある土地にしがみつきながら、孫でも相手に悠々自適したいとも考える。





馴れぬ場所なれぬ看護婦なれぬメス一汗かきぬ手術終わりて ささやかな土にはあれど新しく吾が得しものと手に採りてみる 太田清之
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太田清之著作集
札幌太田病院創立
40周年記念

発行:昭和59年11月11日


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