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当時の論文・コラム:「随筆:不良児と犯罪人」より

昭和22年8月 健民第13巻第5号所載
 社会病理の本態
 

一 
 敗戦後我国国民を襲った社会不安は、国家の政治的弱力化と悪性インフレとに伴いつつ、贋宗教の跋扈、闇取引の日常化、深刻なる生活難、各種犯罪の激増などとなって、出現して来た。住宅難といい、交通難といい、頻々たる脱獄事件といい、或いは共出の不良、強権発動といい、皆この一つの表現に外ならない。そしてこの社会不安は、敗戦国の何れの時、何れの処に於いても、必発の現象であるとは言え、敗戦後既に第三年目に入らんとして、更に増加の傾向があることは、心ある人士をして真に我国の将来を憂えせしめるに足る。

 就中犯罪の増加は社会不安の最たる原因であって、窃盗、強盗、詐欺、横領を初め、各種の性犯罪、傷害及び殺人等何れも激増の一途を辿り、いよいよ悪化する頽廃と混迷とは、洵に目を蔽わしめるものがある。

 芳しも国家の権力で、物資欲に衣食足り、貨幣価値が安定して、国民が皆その職と生活とを楽しみ、街に犯罪なき時代を、社会の生理状態に比較するならば、今日のこの社会不安は正に社会病理学の上に立って、論ぜられるべきものであろう。

 私は精神医学を専攻する一個の医人として、この社会病理の本態に就いて、少しく考察していたい。



 我国の今日に於ける社会病理の本態に就いて、私は二つの原因に要約し得ると信ずる。

 一は社会不安の温床となるべき思想及び環境であり、二はその上に生ずる最近にも比すべき我国青年の混迷と生活不安である。

 先ず現代の社会不安の温床となるべき思想と環境に就いて考えてみよう。久しい間封建制度の社会にあって、諸侯、僧侶、貴族或いは軍閥から徹頭徹尾圧迫され、人格も認められず、盲目的服従を強いられて来た国民が、封建制度の崩壊と共に歓喜して要望するものは、自由思想である。その代表的事象はフランス革命であり、その代表的思想家はルソーである。人間の自然性は自由である。人間は生まれながらにして自由である。それ故にあらゆる権力を否定して、個人の意志や欲望を絶対に自由にせねばならぬ、とルソーはその民約論に於いて説いて居る。然し個人の自由を徹底的に行わんとすれば共同生活即ち社会生活は成立しない。なぜならば共同生活にあっては全般の利益、安寧、秩序を保持するためには、すべての欲望を満足せしめることが出来ず、ある部分を殺して、公共精神(道徳)や公共意志(法律)に従わねばならぬ。従って個人の絶対的自由と言う事はあり得ない。自由主義に徹すれば、国家も政府も認めず、すべての社会生活をも認めない事になる。即ち純粋自由主義はそのまま無政府主義となる。若し仮にこれが実行されたら、世の中は各人の勝手仕方題で、盗みたければ盗み、人を殺したければ殺し、暴力あるものがすべてに勝って、一日として平安な生活は送れないであろう。

 無政府主義の代表的思想家であるピーター、クロポトキンは世の中から人と人との醜悪なる闘争が全く消えて、争う必要がなくなったならば、人間の生れながらの性質は相互扶助の精神なのだから、決して皆が心配して想像する様な恐ろしい世の中にはならない。お互いに扶け合い、愛し合う平和な生活が出来るだろう。けれども人類がそこ迄成長する迄の間の犠牲は勿論忍ばねばならぬ。その犠牲よりは権力者が被支配階級を搾取し虐待する犠牲の方がより恐ろしい。と言う。この思想がロシアでは、ショペンハウエルの厭世哲学と結び付いて、虚無主義となり、人生のすべてを否定する世界観となった。この世に生きる価値さえ認めず、世の中よ、なる様になれ!主義であり、之は正に、人類の持ち得る暗黒なる思想である。この自由主義より無政府主義となり。更に虚無主義に通ずる一聯の過程は勿論極端なる空想であり、行き過ぎである。

 敗戦の結果、仮令アメリカからの行為ある贈物として与えられた「民主」であり、「自由」であったとしても、破れ去った久しき封建の反動として、我国民にもこの自由の行き過ぎが、この虚無への線に沿って、澎湃として起ったのは当然である。斯くて社会病理の根底となるべき思想的温床が成立したのである。この思想的温床に加うるに、国家権力の弱化、物価騰貴、悪性インフレの亢進、復員及び帰還による人口増加、領土の喪失、闇取引の激増、主食の欠配等による生活難、高尚なる娯楽の欠之などの重要なる肥料が加わって、社会病理の温床はここに全く完成したのであった。



 前述の如く社会の不安を醸成すべき温床が完全に出来上がったところに、それと殆んど同時に、社会に寒毒を流す最近が猛烈な勢で芽生えて蕃殖し、今日に至るも、その勢いは止まるところを知らない。この最近こそ、戦後魂の寄り所を失った青年である。感受性の強い彼等にとっては、深刻なる敗戦の失望は裏切られたる正義感と愛国心、當時の指導者に対するやりどころなき憤まん、将来に対する絶望となって、反動的に出現し、一瞬の快楽にすべてを忘却する自暴自棄に迄陥れたのである。

 今日の社会不安の大部分は激増する各種の犯罪に起因し、その犯罪の大部分が二十歳前後の青年である。実にこのさ迷える若き魂を救うにあらずんば、今日のこの社会不安を医することが出来ない。

 履き違えた民主、行き過ぎた自由に戸迷いしたこれら青年子女は、本態の赴くままに、只管犯罪の街道をひた走るのである。そして注意す可きは、昨今の犯罪が個人的小規模のものから、集団的大規模のものに移りつつあると言うことである。群集は個人の集団ではあるが、群集心理は個人の心理からあるものをマイナスし、又あるものをプラスしたものとなる。マイナスせられるものは、冷静であり、落着である。反省であり批判である。秩序であり、道徳である。プラスせられるものは、附和であり、雷同である。落着を失った興奮である。無秩序、無感覚であり、無道徳である。同じ様な境遇の下に、生活苦に呷吟する青年らが相携えて犯罪をなす場合には、個人で行う場合と異なり、犯罪感の鈍麻に依り、大胆に、容易に、個人では敢行し得ない様な重大犯罪をも実行し得る。それ故に集団的犯行程社会に不安を与えるものはない。かの炭山の祭日に起った輪姦事件の如きも、この恐るべき群集心理が、アルコールに依って、更に燃え上がった結果とみる可きものであろう。

 茲に注意すべきことは、前述の如き思想的及び環境的温床のみが我国青年をして犯罪に陥らしめる原因では決してないと言う事である。温床はあく迄温床であって、種を育成するけれども、種そのものではない。かくの如き温床上にありながら敢て犯罪に陥らぬ青年が、犯罪人よりも、もっともっと多いと言うことは洵に注目に値する。然らばその種とは何か。それは素因である。生れ付き犯罪に傾き易い性格上の弱さである。貧故の盗みとよく言われる。然し貧は盗の原因のすべてでは決してない。犯罪人以上に貧しくとも、盗まぬ人が大部分である。又よく考えてみると、貧といい、盗といい、何れも既にその人の反社会性の一面を示して居るのであって、その人が初めから、反社会的要因者であったが故に、一方では貧となり、他方では犯罪人となるのである。同じ事が家庭の不和と言う様なことに就いても言われる。

 如何に敗戦後の我国が、不安と無秩序に満ちて居たとしても、物価は騰貴し、インフレは悪性化して、生活難が骨髄に徹したとしても、犯罪に陥る青年はある特定の人々であり、所謂闇の女に陥る少女も限られた人々に過ぎない。グルレによれば、素因するだけで犯人をする人が全体の三〇%、素因の上に僅かな外因のある犯罪者は四八%である。即ち腹が全く空いて居ないか、或いはほんの少ししか空いて居ないで、パンを盗むものが全体の七八%をも占めている。反之腹が非常に空いて、耐え切れないで、パンを盗む様な場合は僅か八%、更に飢餓の一歩前にまで切迫して初めて盗む様なものは単に一%であると言う。如何に犯罪には素因が重大なる役目を果たすかを知ることが出来よう。

 素因と言う様な事は、外因などに比して、一見甚だ迂遠であり、理解し難いため、私共は屢々環境や外因を過大視して、生来性の素因を過小視する誤解を犯し易いのである。素因は個人の人格の奥深く潜んで居るものではあるが、何かの機会にそれは衝動行為となって出現する。そしてこの素因にも自ら軽重の差があって、社会平和の時代には相当重篤なる素因者も犯罪せずに済むけれども、今日の如き不安なる社会状況下にあっては、軽度の素因者もことごとく犯罪に陥り、放置されると更に同様な犯罪が、同一人によって繰り返される惧が多く、社会不安は益々拍車を掛けることとなるのである。

 上述の如く犯罪者の大部分が素因者である。之を逆に言えば素因なき健康者は、この生活難の中にあっても、敢然として清貧に甘じ、敢えて犯罪に陥らぬのであって、しかもかかる人々こそ、我民族将来のために、最も尊い礎石となる人々なのである。そしてかかる人々が犯罪人に比して、圧倒的に多いと言う事実は、たとえ消極的であるとは言え、我民族の将来に輝かしい希望を与えるものであり、かかる人々を一日も早く現在の生活難から救わねばならぬものと信ずる。



 以上述べた如く、我国現在における社会病理の本態は、思想的混迷の下に、魂の寄り所を失った青年が、敗戦の結果自暴自棄となり、その素因たる反社会性を暴露して、本能の赴くままに、犯罪に陥る処に、その主なる原因を認めることが出来る。然らばその救済方法は如何にすべきか。
 警察陣の強化により。彼等犯罪者を残りなく検挙する事が最も直接的効果のあることは勿論である。然し私は前述の原因論より演繹して、もっと根本的な対策が必要であると思う。病気はその治療よりも予防により重大性を認めるのであって、この事は、社会の病気に対しても、全く同じ事が言い得るのである。


一、 社会悪の温床を除去すること。
 温床の如何によっては、如何なる種も芽生えない。思想的混迷は敗戦国の常として、避け得ぬ所であるけれども、私共は為政者を鞭摓して、衣食住の充分なる給与、闇取引の禁止、悪性インフレの抑圧など社会安定のための諸政策を実行せしめ、国民をその深刻なる生活難より救はねばならぬ。


二、 国民素質の向上。
 社会不安の原因が犯罪の激増にあり、犯罪の直接原因がその悪質の原因にある以上、この事は特に大切である。しかもこの事は今日実行して、明日その効果を看ると言う様なものでなく、少なくとも二十年、三十年、或いは百年の後を期待せねばならぬもの故、甚しくまどろしく感ずるかも知れない。けれども悠久なる我民族の将来を思えば、直ちに着手すべき重大なる事柄である。

 今日新聞紙上の広告などに盛に宣伝せられて居る産児の制限の如きも、有識者の正しき指導がなければ、結局は逆淘汰を起こし易い。即ちそのよき子孫を多く残すべき人々が産児制限を実行し、好しからざる子孫を残すべき人々が無知と制限なき本能生活から、数多くの子孫を得て、我民族の将来を暗いものにする。

 それ故に優生結婚の奨励と共に、重症犯罪者、遺伝性精神病者の如き悪質素因者に対する優生断種は速かに実行に移すべきである。


三、 社会教育の徹底。
 一般に二十歳前後の青年は、身体こそは一人前の成人であるけれども、その精神構成に就いては幾多の弱点を有するものである。感受性や被影響性が高いこと、自信が強く自我感情が盛んであることなどはその一である。それ故に彼等に対し、圧迫と叱責のみを以ってする指導は屢々失敗に帰する。しかし理解と愛とを以って教え導くと言うことは、彼らをその犯罪から救うためにも、極めて重要なる事である。彼らを父母の愛、家庭の愛に引きもどさねばならぬ。毎日毎日の生活のすべてが、かくす所なく家族団楽の夕食の卓上に於いて語られねばならぬ。彼等の所持品、金銭出納には特に注意せねばならぬ。彼の交わる友人の名前と住所などは、両親は確実に知って居ねばならない。両親は対して秘密をもつ事が悪の第一歩である。

 新しい憲法に依って、我国民は旧き家族制度の桎桔より解放せられたが、その反面生活力弱気精神病者、精神変質者及び犯罪者などが、すべて社会全般の負担となる惧れがある。それ故に新憲法の裏付けとして、宗教教育の必要を声を大にして叫び度い。その子女に対する宗教教育は極めて幼少の時から実行されなければならぬ。

 古来我国における宗教教育は零に近かった。小学校教育の中にも、もっと勇敢に宗教教育がとり入れられてよいと思う。教育者は正しく再教育されるべきであり、ある程度の精神医学の知識はすべての教育者の常識でなければならない。真善美!これこそ若き魂の寄り所である。真とは科学であり、善とは道徳宗教であり、美とは芸術である。何時いかなる処に於いてもこの三つは常に貴い。若き魂が常にこの三つに憧れを持つ様に教育されねばならない。健全なる音楽、嵩高なる芸術、潑刺たるスポーツなどは、その若きエネルギーを充分に注ぎこむに足るだけ与えられねばならぬ。すべての成人がすべての青年の模範となり、その社会教育は随時随所に於いて活潑に行われるべきである。

 最後に新憲法に銘記せられた労働の義務を如何に実行に移すべきかに就き愚見を述べたい。すべての我国民は初等中学卒業後、一ヵ年間労働に従事する義務を負う。すべて親の膝下を離れて一定の宿舎に集団生活をなし直接今後の社会生活を学ぶと共に、農、漁、林、港湾及び石炭等自ら選ぶ業務に就いて、労働の神聖を体験する。上級学校に進むものもこの労働過程をのがれる事が出来ない。この方法によって、我国は生産増強に必要なる基礎産業に確実真摯なる労務者を得る。共に、我国民の一人一人が基礎産業に対する認識を深くすることとなる。青年が専業労務者との共同生活によって、その悪習に染ると言う恐れは、よき指導者を選ぶことによって解消するであろう。





ささやかな土にはあれど新しく吾が得しものと手に採りてみる 太田清之
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随筆:不良児と犯罪人
発行:昭和24年11月1日


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