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当時の論文・コラム:「随筆:狂人と常人」より

昭和12年6月 診断と治療。第24巻。第6号
 夏目漱石の精神病に就いて
 

 夏目漱石の精神状態が尋常でなかった事は氏の処女作「ロンドン塔」に依っても伺われたが、氏の死後漱石夫人の「漱石の想出」が出版されるに及んで、いよ確実なものとなった。然らば漱石の精神病が如何なる種類のものであったかに就いては、多くの議論が行われ、今日に於いても尚、確たる診断がついて居ない様である。直接漱石を診断した故呉博士は妄想性痴呆と言って居るし、式場博士は漱石の精神病を目して、糖尿病と密接なる関係にあるものとし、糖尿病性精神病ではないかと言う風に考え居られる。又北大の中川学士は漱石の作品及び経歴等を詳細に研究した結果、漱石の精神病が躁鬱病に最も近いものであろうと言う。呉教授亡き今日教授の診断を云為する事は、誠に失礼であるとは思うが、呉教授の漱石に対する診断の誤であった事は、漱石の病気が寛解したと言う事実に依っても知られる。式場博士の所説も、漱石に糖尿病があったと言う事実及び死後の解剖所見上膵臓に糖尿病性の変化が認められたと言う長与教授の事実を根拠として、首肯し易い所ではある。然しながら我国には糖尿病性精神病即ち第一次的に糖尿病が出現、之に因って第二次的に精神病が発生すると言う事は極めて稀である事、漱石には糖尿病性精神病の如き症候性精神病には必ず随伴すべき意識の溷濁が少しも見られなかったと言う事などを一応は考えねばならぬと思う。加之第一次的に糖尿病が発生したか否かは解剖所見では不明であるし各種の精神病に偶々なる合併症として糖尿病の発生し得る事も決して稀ではないのである。漱石の精神病が比較的診断に困難であるのは、その症候が不安定、非定型的であって、そのために一つの精神病単位のうちに挿入する時は、多少に拘らず支障を感ずるからである。実際幻視幻聴があり、激しい被害妄想が持続して居た事実は、呉教授の言の如く、第一に妄想性痴呆を思わせるに足る。然し漱石の精神病は寛解し、そして又再発して居るのである。この事は糖尿病性精神病としても当篏らない。若し糖尿病性のものとすれば膵臓に病変がある限り、精神異常は持続すべき筈でなかろうか。

 中川学士の研究に依れば漱石には明瞭な精神異常の発作が三回あり、疑問な発作が一回ある、と言う。その発作は約十年の間隔を置いて二十歳、三十歳、四十歳及び五十歳を中心として起り精神異常はその前とその後二、三年に亘って居る。第一回の発作は少し疑問であるが、十八歳頃より二十歳頃まで抑鬱があって、その際一度学校を落第して居ると言う。それに続いて二十歳より二、三年間躁状態が続き、その間漱石は漢詩を作り、友人と交わり、又旅行をして居る。第二回目は二十七、八歳頃より三十歳頃までの抑鬱の層と直ちに之に連絡する三十二、三歳頃迄の躁様の層とより成る。この躁時代に漱石は俳句や漢詩を発表して居る。第三回目の発作は漱石の洋行中に起った抑鬱であって、二、三年続き、帰朝後はそのまま躁状態に移行して居る。その際漱石は猫や草枕等を発表した。第四回目の発作は四十七、八歳頃より五十歳までの抑鬱と、それに引き続き死に至る迄の躁の時期である。その躁状態の際に漱石は道草や明暗を書いて居る。漱石の有名な大吐血の如きは精神異常の比較的少ない時期に起ったものであった。ここに注意すべき事は、漱石の精神異常として世人の注目を惹いたのは主としてその抑鬱の時期であった事である。この際漱石は幻覚や妄想等の顕著なる精神症状を発したからである。然しその時期に於いても漱石は執筆等の如き精神作業能力は低下したが、精神運動の抑制は比較的低いのであった。躁状態の時は精神運動の亢進と作業促迫とがあって、盛んに詩や小説を書いたが、他人からは特別に異常があるが如くには見えなかった。但しその際の感情は通常の躁病に於けるが如く単純なる爽快のみでなく、多少の苦悶と被害的念慮が鬱状態に於けるが如く、認められたのである。以上の如く漱石の示した躁鬱病的傾向は、決して純粋の型をとらず、然も比較的長期に亘って持続して居るのであって、ここに診断を困難ならしめた原因があると思われる。

 然らば漱石の示した如き非定型的躁鬱病は多いものであろうか。私は少なくとも欺くの如き非定型的躁鬱病が糖尿病性精神病よりは我国に於いては屢々発見させられるのを経験する。否私の貧しい経験に依れば、我国に成いては、純粋の躁鬱病は反って極めて少ないのではないかとさえ感ぜられる。感情爽快、考慮促進及び精神運動の亢進と言う三症状を完備した躁病又はその逆症状を完備した鬱病は我国に於いては比較的少なく、躁と鬱との混合型又は多少に拘らざる精神分裂病的症状の加味せられたる非定型の躁鬱病が多いのである。そして之等の精神病を混合精神病なる名称の下に一括せんとする私の試みは、後に同胞間の精神病なる題下に、詳しく述べようと考えて居る。この側面的支持として私はクレッチュメルの創意に依る精神病者とその体系との関係に就いて触れてみたい。クレッチュメルはある精神病とある体型との間に、一定の親和力がある事を主張し、躁鬱病には肥満型が、精神分裂病者には細長型が多いとした。この説は我国に於いても精神分裂病者に関する限り認められて居る。之に反して躁鬱病と肥満型との親和力は少なくとも我大和民族に於いては、独乙民族に於けるよりも稀薄である。我国民の間に於いて、この関係に就き主張し得る事は、「大和民族に於いても肥満型者は躁鬱病又はその傾向を示す事は認められるが、躁鬱病者は必ずしも肥満型的傾向を示さない。」と言う事だけである。その事実に依っても我民族の躁鬱病者が純粋の躁鬱病としての症状を示さず、躁と鬱との混合型又は他種精神病的症状の加味を示す事あるを、ある程度まで理解し得るのである。

 扨て然らば漱石の体型とどうであろうか。漱石が少なくとも純肥満型でなかった事は明である。今日残って居る肖像画などに依れば、細長型的傾向が主潮流をなし、之に多少の肥満型的傾向が壮年後に加わったものではないかと思惟せられるのである。欺くの如き体型者に発生せる躁鬱病がその症状に於いてその純粋型を示さなかったとしても、少しも不思議はないのである。然もこの非定型的躁鬱病にこそ我民族に於いては定型的とさえ言い得るのである。式場博士は漱石の糖尿病を甚だしく重視して居られるが、躁鬱病就中その鬱状態の際に、糖尿病を合併する事は、我々臨牀家の日常経験する所である。

 以上の如くして漱石は我大和民族に比較的多く見られる非定型的なる躁鬱病であるとする中川学士の所説に深甚なる敬意を表する次第である。





ささやかな土にはあれど新しく吾が得しものと手に採りてみる 太田清之
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随筆:狂人と常人
発行:昭和23年1月20日


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